オレの戯言

人生に疲れて絶望している人へ【個人的な考えと対処法】

枯れた彼岸花

毎日、パワフルな日常を送っている人がいる。

その一方で、人生に疲れ、絶望している人もいる。

個人的な考えだが、私は生きている内の大半は「楽しい」より「つらい・苦しい」といった出来事に遭遇することの方が多いと感じている。

私だけでなく、大半の人がそうではないだろうか。

今まさに、人生に絶望している人の参考にはならないかもしれない。

当記事はあなたの悩みに対して回答をはっきりと明示したものではありません。

ただの一個人の、考えであり戯言です。

 

変わらない日常ですら、捉え方一つで変わっていく

毎日変わらない日常。

「変わらない」だけなら良いだろう。

現代では悪化の一途を辿っている人も多いのではないだろうか。

仮に毎日変わらない日常を過ごせていたとしても、私たちは年を取る。

老いていけば、これまでなんとか耐え忍んでいたルーティーンだって、辛くなっていく。

ふと、倫理とか哲学的なことを考え出す。

なぜ俺だけ…

なぜ私だけ…

どんどんマイナスなことが浮かんでくる。

周囲の成功している人を見つけては羨み、自分と比較をしてしまい、人生に絶望する。

 

私たちの悩みはどこからくるのか

日々の積み重なった小さな不満かもしれない。

周囲と比べた時、自分の現状を悲観的に捉えてしまうからかもしれない。

自身ではなく、自分の子供のことで悩んでいるのかもしれない。

経済的なものかもしれない。

恋人との失恋からくるものかもしれない。

ずっと昔のトラウマかもしれない。

パッと考えつくだけでも、色々な原因はあるだろう。

ちょっとした幸せが続けば、きついことだって耐えきれることが多いだろう。

しかし、この比率が「きつい」の方が異常に占めており、「楽しい」「嬉しい」といった出来事が皆無だと人生に絶望してしまうのも当然ではないだろうか。

私たちが日々抱える悩みはどこからくるのだろうか。

多くの原因となるのは周囲と自分を比較した時だと私は感じている。

要するに嫉妬といった感情が大きいように思える。

あなたにも一度くらいは楽しかった日々があるのではないだろうか。

小さかった頃。

学生時代。

新婚時代。

一度は必ず、心の底から笑っていた時があったのではないだろうか。

そして楽しかった日々から、人生に絶望し消化試合のように過ごしていくようになったターニングポイントはどこからだったのだろう。

 

私は常に絶望している

私は、物事を悲観的に捉えやすい。

あらゆることに対し、まずは疑ってかかる。

人の好意も何か裏があるのではないか?と勘繰る。

無意識の内に、楽しそうな日々を過ごしている友人たちと自分を比べてしまう。

心配性な性格のため、これから先も変わらずやっていけるのだろうかという不安もある。

最近、心の底から「楽しい」という感情が湧き出てこない。

環境は変わった。

毎日寝る間を惜しみ、経済的には良くなったのかもしれない。

しかし、言いようのない不安と、楽しそうな周囲との比較。

私は毎日、笑いながらも人生に絶望している。

ハッキリとした原因は無いのだが、総合するとなぜだか暗く沈んだ気分になる。

私の人生は挫折と失敗の連続だった。

  • 高校時代、一般的な青春を謳歌していない
  • 会社に入社後、契約直前の案件をおじゃんにした
  • 馬鹿みたいに浪費していた
  • フリーとなり、出だしから失恋した
  • 一人で活動することに対する想像以上の世間からの孤立感

瞬時に浮かんでくるだけでも、書ききれないくらいの挫折とバカな選択や失敗、「自分が想像していたよりも、ずっときつかった」という経験が出てくる。

しかし、自分が決断してきた選択を「後悔しているか?」と問われると、そういうわけでもない。

誰かのせいではなく、すべては自分が選んできた選択だったからだ。

 

状況を受け入れ、1つ1つ対処していくしか打つ手はない

自身と周囲を比較してしまいがちなら、比較した時に負けないくらいの要素を築いていくしかない。

経済的に苦しいのなら、もがいてでも必死に今の状況から脱するために稼がなければならない。

子供のことで悩んでいるのなら、子供と向き合う時間がもっと必要なのかもしれない。

失恋ならば、いずれは立ち直り、前を向いて歩かなければならない。

辛い現実から、目を背け続けると、気付けば余計にひどい状況になっている。

ふと「なんとかしなくては…」と目を開いてみても、以前より事態が悪化している…なーんてことは往々にして起こり得る。

タイムマシンなんてないのだから、過去を変えることなんてできない。

未来は見通せないのだから、正解の選択肢だって分からない。

だとすると、すでに起こってしまった出来事に対する不満の種や、人生に絶望している原因と向き合い、「どうすれば好転するのか?」を考えなければならないのではないだろうか。

アドラー心理学というのをご存知だろうか?

詳しくは述べないが、アドラー心理学では過去のトラウマを否定する。

私にはこの考えがどうにも、賛同しかねる主張だった。

だけど、生じた問題から逃げずに向き合い対処していくというスタンスは取っている。

 

数年後も全く同じ内容で苦しんでいるのはまずい

トラウマというのは決して消えないものだと思っている。

どんなに崇高な思想や哲学を語られても、私たちは機械ではない。

心という形の無いモノを持った人間なのだから。

感情にも電源ボタンがあり「オン・オフ」が出来ればどんなに楽だろうか…と私はよく考える。

何度も何度も人生に絶望した。

人、社会、自分自身

それぞれに嫌気がさした時がある。

ただ、私は常に次の考えるようにしている。

今の悩みは一過性のもの。

つまり、今「きつい」「苦しい」「疲れた」と人生に悩み、苦しみ、絶望していたとしても、多くの困難というのは、その時しばらく続くが終わりがくる。

解決できるものだと思っている。

もちろん時間が解決してくれる問題もあれば、あなたや私自身が「変わろう」「現状を変えたい」と考え、主体的に行動しなければならないことだってあるだろう。

少しずつ現状を打破しようともがくことで状況はよくなるのではないだろうか。

そう、信じたいし、実際に自分の出した結論を信じてアクションを起こしてきた。

 

「心の傷は完治しない」と思うから無理はしない

私は実践的な心理学を学びはしたが、精神科に通ったこともなければ、メンタルヘルスという、精神的な面の知識には疎い。

人並みレベルの知識と、接し方だと思う。

素人の私が出した「人生に対する絶望への対処法」は、「決して無理だけはしないこと」だった。

「アレもコレも…」とあらゆる悩みを一気に片そうとすれば、必ずどこかで支障をきたす。

たぶんなのだが、人は心に傷がつくと完治することは未来永劫ないと考えている。

傷がついた部分に、何か別の幸せをコーティングすることで治ったように対処しているのだと思う。

じゃないと、ふと昔を思い出して気分が沈むなんてことはないだろう。

たまにコーティングした部分が、何かの拍子にまた浮き出てきてモヤモヤと考えだす。

こんな経験、誰しもがあるのではないだろうか。

だからちょっとのことでも喜びを感じ、幸福感を覚えていかないと、どんどん心は傷だらけになっていくんじゃないだろうか。

完全な素人考えだし、専門家の方々に言わせると、「何を言ってんだコイツは…」とか「全然違うぞお前」と思われるかもしれない。

でも、私はこういう考え方で、物心ついた時から生きてきた。

 

「生きてるだけで丸儲け」ってよく言ったもんだと思う

私たちは何か理由があって、この世に生を受けたのだと思う。

綺麗ごとのように聞こえるかもしれない。

人生をゲームで例えるとするなら「イージーモード」だったり「ベリーハード」だったりすると思う。

私は、そうだな…自分ではイージーモードな人生ではなかったと思う。

個人的にはベリーハード寄りのハードモード。

結構きついこと多かった。

わりと絶望的な状況だと個人的感じることは多かった。

自分でした選択なのだから、もちろん誰のせいでもない。

人生に明確な正解・不正解というのはないのだろうが、要所要所での私が出した選択が、イージーモード寄りではなかっただけだろう。

私は決めていることがある。

それは、間違えても変な気だけは起こさないということ。

自らを傷つけ、終わらせてはいけないと自分の中で強く誓っている。

誰に好かれなくても、自分だけは自分のことを好きになるようにしている。

「俺は〇〇もダメ。△△な部分もダメ。アホ、ボケ、カス」と自分で感じていても、それと同時に、なんとか長所を見つけて自分のことを好きに、そして信じるようにしている。

自分に対して嫌悪感のみを抱き、自身を大切にできない人は、本当の意味で、人の心の痛みが分かってあげられる人間にはなれないと思う。

生きてるだけで丸儲けなんて言うけど、本当にその通りだと個人的には感じている。

生きていれば絶対に何か良いこともあるはずなんだ。

私は節目節目でそうだった。


高校時代、クラスメイトに絶望した。

でも大学に入学して心から信頼できる友人に出会うことができた。

かなりツンツンして尖っていた私の心の中に、あっけらかんとした態度でズケズケと入り込み、閉ざした心を開いてくれた親友ができた。

 

異性にだって、ひどく絶望したことがある。

でもまた、心から好きだと思えるような人と、出会うことができた。


あなたにも一発どギツイ出来事のあとに、ちょっとした救いの出来事は無かっただろうか?

きついことが連続するなんて日常茶飯事だろう。

そろそろ自分の心の器が限界に達しそうなのに、またドッと追い打ちのような出来事に出くわすことだってある。

時期が重なりすぎると、サンドバッグ状態でズタボロに打ちのめされることだってあるだろう。

それでもいつかきっと、良いコトだってあるものだ。

きつかった出来事を一瞬でペイすることはできないかもしれない。

ちょっと割に合わない、「わずかばかりのリターン」ということもあるだろう。

「ようやく俺の人生も上向きか?」と思ったところに、またすぐどギツイ一撃を頂戴することだってあるかもしれない。

でもいつかきっと帳尻合わせのような良いことにも巡り合うはずなんじゃないだろうか。

生きてりゃきっといいこともある。

いい人にも巡り合う。

今辛いことと楽しいことの比率が10対0なら、それを時間をかけてゆっくりと、5対5とか、正反対に持っていくようにすればいい。

常に人生に言いようのない絶望を感じつつ、私はなるべく改善しようというスタンスを取っている。

 

何気ない日常に幸せを見出すようにするといいかもしれない

よほどアクティブに生活していない限り、何気ない毎日の連続という人が大半ではないだろうか。

だったら、その何気ない毎日になんとか、ちょっとした喜びや、心の休息を設定するだけでも、今の絶望した状況が気持ち程度だが改善していかないだろうか。

たとえをだそう。

少しだけ想像してみてほしい。


朝、ちょっと早起きして起きてカーテンを全開にして、日の光を浴びる。

普段食べない朝ごはんを食べる。

昼ご飯に、コンビニの新商品を買って食べる。

仕事おわり。

今日はひどく疲れてる…

夕飯を帰って作るのも面倒だし、何か外で定食を食べる。

ちょっと奮発して、店で一番高い定食にしてみる。

帰宅後は湯船にたっぷりとお湯をはり、入浴剤を入れてお風呂でゆっくりとリラックスする。

あー、また明日も仕事か…寝るかー…


ちょっとした変化を加えてみてはどうだろうか。

別に私は「意識高い系」とか「生き方」とかそんなことを偉そうに述べるつもりはさらさらない。

意識が高ければ、こーんなつまらないことで悩むこともないと思う。

もっともっと楽観的に人生を過ごせたらどれだけいいだろうかといつも考えている。

そんな私でも、やっぱり「苦しい試練」のような人生よりも、多少は「楽しい」と感じる人生を送りたい。

絶望だらけの人生なんて苦行以外の何物でもないのだから。

一生つらくてきついだけの修行のような日々にはしたくない。

誰だってそうじゃないだろうか。

 

おわりに:人生に絶望している現代人は多いようだ

昨今はストレス社会。

色々と私たちを取り巻く環境が、幸福度を大きく左右する。

最近「自由」とか「ライフハック」という言葉がすごく魅力的に感じるのは、人生に楽しみを見出せていない現状の不満からくるものだろう。

ただ、ちゃんと向き合って、逃げるか・闘うか・協力を仰ぐかなど、試行錯誤して、現実を生きていけば、きっと好転していく。

私はそう信じて、毎日を過ごすように努力している。

ガンダムSEEDかなんかでも名言があったよね。

生きる方が戦いだ!だっけ。

リアルタイムで観てたけど、あの時は意味が分かんなかったよ。

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